不思議な2月16日、日蓮大聖人様の誕生日に黒いワンちゃんジェットも死んじゃった

タイの田舎の小さな家の生活日記
妙法を持った人の臨終

<臨終のときも諸天善神が守護する>

さて、この「金剛宝器戒」を持った人は、いかなる「臨終」を迎えることができるか。
大聖人は「如説修行抄」で次のように仰せである。
 「二聖・二天・十羅刹女は受持の者を擁護し諸天・善神は天蓋を指し旛はたを上げて我等を守護して慥(たしか)に寂光の宝刹へ送り給うべきなり」――薬王菩薩と勇施ゆぜ菩薩の二聖、持国天王じこくてんのうと毘沙門びしゃもん天王の二天、十羅刹女が、御本尊受持の者をかばい護まもり、諸天善神は天蓋(天にかかるカサ)をさし、旗をかかげてわれわれを守護して、たしかに常寂光の仏国土に送りとどけてくださるのである――と。
 この「如説修行抄」の仰せは、日寛上人の同抄文段でお示しのごとく、法華経「陀羅尼品」第二十六をふまえられてのものである。
 つまり「陀羅尼品」では、ここに仰せの「二聖(薬王菩薩と勇施菩薩)」、「二天(持国天王と毘沙門天王)」、「十羅刹女」の「五番善神」といわれる五者が、それぞれ順番に法華経の行者を守護することを誓っている。
 ちなみに「二聖」のうち、「薬王菩薩」はその名のごとく衆生の重病を消除する働きである。また法華経の会座にあっては、常に「迹化の菩薩の上首」として連なっている。また「勇施(ゆぜ)菩薩」は、その名の通り、一切衆生に布施する力を惜しまない働きである。
 これらの菩薩、諸天は、法華経の会座で、法華経の行者を守護することを誓っており、御本尊を受持し「法」のため、「広布」のために活躍していく人をば、厳然と守護するのである。
 そして、それは、私達が生きている間だけのことには限らない。「臨終」という、今世の生を終え来世への出発を決める、いわば人生の大きな変化を迎える時、まさに、人生の最も重要な時にこそ、諸天善神はこぞって私たちを守護する。大聖人はそのことを、「慥(たしか)に」と固く約束くださっておられる。


<諸天善神の働きは信心の一念に具わる>

臨終の際の、この諸天善神の働きについて、大聖人はさらに、諸天の力用はことごとく、ほかならぬ私どもの信心の「一念」に具(そなわ)っていると御教示されている。
 「二聖」「二天」「十羅刹女」という五番善神の力用についても、すべて妙法蓮華経の五字から出たものであり、妙法を受持した、私どもの生命それ自体に納まると。
 「御義口伝」には「妙とは十羅刹女なり法とは持国天王なり蓮とは増長天王なり華とは広目天王なり経とは毘沙門天王なり、此の妙法の五字は五番神呪(ごばんじんしゅ)なり、五番神呪は我等が一身なり」と仰せである。
 妙とは十羅刹女であり、法とは四天王のうちの持国天王、蓮とは同じく増長天王、華とは広目天王、経とは毘沙門天王であると――。
 大聖人はここで観心の御立場から、二聖のうち薬王菩薩を広目天に、また勇施菩薩を増長天に置きかえて、それぞれ配されている。すなわち、ここでの五番善神は、十羅刹女と四天王のこととなる。これらの善神の尊名はみな御本尊に厳然とおしたためである。
 そして――この妙法華経の五字こそ、五番善神が法華経の行者の守護を誓って唱えた呪文(じゅもん)の当体である。五番神呪といっても、所詮は題目の力用に含まれると。さらに、妙法五字であるこの五番神呪とは、我等妙法を受持した人の生命それ自体であると明示されている。
 五番善神に代表される全宇宙の諸天善神とその働きは、すべて御本尊に具足されている。同時に、「信心」している仏子の生命にも具るのである。


<信心によって蓄えた我が生命力の“証”>

この点をふまえて、先ほどの「二聖・二天・十羅刹女は受持の者を擁護し(中略)寂光の宝刹へ送り給うべきなり」の御文を拝するならば、次のようにも言えようか。
 すなわち広布に生ききった人は、臨終の際、我が生命の諸天善神等の力用が、一挙に全面的に発動する。そして断末魔の苦しみをはじめ、襲いかかる「死苦」から、完璧に守りきってくれる。そして内なる一念の力用はその瞬間、外なる大宇宙の諸天善神の発動をも呼び起こす。そして内外相応して自在の力を発揮し、直ちに「寂光の宝刹」すなわち宇宙の仏界という次元へと、必ず融合していける――との仰せとも拝せよう。
 この意味から、臨終の際の諸天善神の働きとは、信心によって蓄えた我が生命力の“証(あかし)”ともいえる。
 つまり「死」は一面からみれば、人間が今世における一切の虚飾をはぎとられて、裸のままの「生命」それ自体がもつ真実の″力″で立ち向かわざるを得ない難関である。
 この時ばかりは、権力という″力″も、財力の″力″も、名声や地位という″力″も、また単なる知識や理性の″力″も、すべて死苦を乗り越える真の力にはならない。生命自体の″実力″とでもいおうか、いわば、生命奥底の″底力″こそが試される瞬間なのである。ニセものは通用しない。
 「生」の期間には必ずしも表面化しない、生命内奥の真実の姿が、その時、立ち現れる――。臨終という、この文字通りの″正念場″にあって、ただ妙法の実践の中で我が「生命」自体に積み、蓄(たくわ)えてきた生命力というエネルギーのみが、その絶大の力を発揮する。
 ゆえに、「生」あるうちに、また健康で活躍できるうちに、真剣に、妙法による福徳の貯金を、また生命力の蓄えをつくっておくことが重要なのである。日々″わが信念の道に悔いなし″と


<妙法受持の人の絶大の功徳>

このことに関連して御書の一節を拝しておきたい。
 「転重軽受法門」では、涅槃経で説く「護法の功徳力」の教えに基づき、死身弘法の人の死をこう述べておられる。「地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候」――(過去世の重い宿業によって、実際には未来に受けるべき)地獄の苦しみが、ぱっと消えて死に、人界・天界、二乗界、菩薩界、仏界の利益を得る――と。
 地獄とは、最低のものに縛られた苦しみの境界といってよい。しかし、妙法に生ききった人は、臨終の際、その生命の力を最大に発揮して、地獄の縛をも、ぱっと断ち切り、生命の「上昇」を始める、との仰せである。
 また「一乗の羽をたのみて寂光の空にもかけりぬべし」と。
 妙法という「一乗の羽」の力をたのんで「寂光の空」すなわち、仏界という大いなる常楽の世界へと飛び立っていくであろうとの御指導と拝する。
 この御文に描かれたイメージをお借りし、たとえて述べるならば、死の瞬間、それまで蓄えられきった生命の力によって、あたかもロケットが地上から最大の噴射力で飛び立ち、成層圏を突きぬけて、大宇宙へと飛翔ひしょうしていくように、「寂光の空」なる仏界へと「上昇」しきっていける。
 これが妙法受持の人の絶大の功徳である。その宇宙の「仏国」「仏界」は、広々と清浄にして大歓喜に満ち、何の束縛もない自由自在の次元である。そこからさらに、次なる使命の人生を、生まれたい場所と時を選んで、生まれたい姿で、再び出発していける。あたかも名飛行士の、自在な着陸の姿とでもいおうか。
 ともあれ、このような素晴らしき三世にわたる常楽我浄の生命こそ、不壊の「金剛身」である。この崩れざる絶対的幸福の“我”を築きあげるための「金剛宝器戒」であり、日々の仏道修行なのである。
 最後に、愛する尼崎、兵庫の皆さまが、宇宙をも動かしゆく妙法の偉大な功徳を満喫されつつ、「我が人生に悔いなし」「我が信念の道に悔いなし」という、誇らかな一日一日の前進を貫かれますよう、心から念願し、記念のスピーチを結びたい。

1988. 3.26 兵庫広布35周年記念幹部会

2月16日、日蓮大聖人様のお誕生日の日に、
兄弟の茶色いワンちゃんのあとを追うように
お昼にもう一匹の黒いワンちゃん(ジェット)が
突然死んでしまいました。

 

 

いままでハムスターしかペットと暮らしたことが
ないのですが、やはりペットの死も家族や友達
の死と同じくらい悲しくて苦しいものだとあらためて
思いました。

茶色いワンちゃんが死んでしまった日、黒いワンちゃんは
作ったばかりの3メートル以上ある壁をジャンプして、
自分はこんなに元気なんだよと言ってるように思えた
のですが、数日後の突然の死でした。
原因はわかりません。奥様トンちゃんは誰かが
幸せそうな2匹に嫉妬して、毒を食べさせたのかも
と言っていますが、人をうたがってもしょうがない
と思います。夜中に家の外に自由に出ていって
田んぼのカエルを食べたり、ゴミをあさったりして
いたので、自業自得なのかもしれません。

黒いワンちゃんは3日ぐらいから何も食べなくなり、
庭の片隅で寝てばかりで、死ぬ前日の夕方は、睡蓮の花を
じっと見つめて考えているようでした。そして、きのう
の朝は、朝日が昇るとき、太陽の光が一番
あたる場所に座っていました、私は歩いて近くまで
いって、もうじき死ぬんだなと思い、茶色いワンちゃんの
ときと同じように、背中を軽くたたきながらお題目を
しばらく唱えると、ときどき私のほうをみて、やがて
眠ってしまいました。

お昼になって、様子が心配なので、行ってみると
姿がみえないので、しばらく庭を探してみると、
マンゴーの木の陰で死んでいました。
その姿を見て、あんなに元気だったワンちゃんが
動かなくなってしまい、生命とはいったい何なんだろうか。
私も、奥さんのトンちゃんも、タイの家族の人も
ある日突然動かなくなってしまうのだと思いました。
”今日が人生最後の日”、あらためて、スティーブジョブス
さんのスピーチを思い出しました。

雑貨屋さんまでの1キロばかりの道をいつもいっしょに
ボディーガードみたいについてきてくれた2匹のワンちゃん
がもういないのだ、朝起きると2匹の姿はもう見れないと
思うと、辛く悲しいのですが、そのことを変毒為薬して、
自分は死んだ2匹に感謝して、いっそう明るく元気に、
みんなをはげまして今日を生きようと思いました。
自分が落ち込んで、元気が無いと、ますますまわりの
みんなも落ち込んでしまいます。

2匹の写真をプリントアウトして、私の亡くなった両親の
笑顔の写真の隣において、毎日、勤行唱題に
はげみます。亡くなった両親もワンちゃんたちも、
しばらくあっていない同士の人も、まだあったことの
ない同士の人も、みんな御本尊様の向こうに
いると思ってがんばります。

そして、不思議なことにこの2月16日に、親戚のドイツ人のおじさんの弟さんと奥さんが、ドイツから3泊4日でトンちゃんのお母さんの家に遊びにきていて、小さな家に遊びに来て、庭のひまわりと睡蓮を見て喜んでいました。今日、ドイツに帰るというので、朝にお別れに行って、おみやげに日蓮大聖人様の本とお数珠をプレゼントしました。そのとき日蓮大聖人様の誕生日の2月16日に遊びにきたことを話したら、息子さんの誕生日も2月16日だといって驚いてました。不思議な2月16日、思い出に残る2月16日です。

2匹のワンちゃんを忘れないように、庭のマンゴの木の近くに、2匹のお墓をあまっているブロックで今日作りました。

みなさんも、いろいろ人生あると思いますが、今日が人生
最後の日だと思って、明るく元気に、自由に自分らしく
今日を生きましょう。

 

にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ
にほんブログ村