”久遠元初”、”因果倶時”、”宝塔”を考えたら、時間と空間が消えていた

タイの田舎の小さな家の生活日記
Devanath / Pixabay
------------------------------------------------------------
阿仏房御書(宝塔御書) 第三章 宝塔の本義を明示する

所詮・三周の声聞・法華経に来て己心の宝塔を見
ると云う事なり、 今日蓮が弟子檀那又又かくのごとし、
末法に入つて法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、
若し然れば貴賎上下をえらばず南無妙法蓮華経と・
となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝
如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・
宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり。
------------------------------------------------------------
宝塔品の意味は、所詮、三周の声聞が法華経に来て己心の宝塔を覚知という
ことである。今、日蓮の弟子檀那もまた同様である。末法に入って法華経を持つ
男女の姿よりほかには宝塔はないのである。そうであるならば、貴賎上下をえらばず
南無妙法蓮華経と唱える者は、そのままわが身が宝塔であり、わが身がまた
多宝如来である。妙法蓮華経よりほかに宝塔はないのである。法華経の題目は
宝塔であり、宝塔はまた南無妙法蓮華経である。
------------------------------------------------------------

日蓮大聖人様の仏法にでてくる言葉が気になっています。
それは、”久遠元初”、”因果倶時”、”宝塔”です。

久遠元初とは大宇宙のはじまり。ビックバン以前ということではない
でしょうか。ビッグバン以前には時間は存在しないと私は思います。
そして、宇宙もいくつもの層(レイヤー)が重なり合って、空間も
存在しない状態ではないでしょうか。

そして、”因果倶時”という言葉を考えると、法華経の行者が
祈ったときにすでに願いは叶っているということのように思えます。

そして、”宝塔”という言葉ですが、これが不思議です。

阿仏房御書(宝塔御書)を読むと、
私たち自身が宝塔であり、法華経の題目であり、
”南無妙法蓮華経”のお題目が宝塔と書かれて
います。

宝塔は久遠元初から存在するなら、私たちの祈りも
実は久遠元初からの祈り、そして、その祈りはすでに
因果倶時ですでに叶っているということではないでしょうか。

その祈りが叶っていることが、元本の無明の闇によって
見ることができない、時間と空間にとらわれている
普通の凡夫には見えない、その闇を切り裂くのが
唱題行のように私は勝手に思っています。

祈りはもう叶っている、そう思ったら、何がおきようと
いつも威風堂々と生きていけるような気がします。
目的に向かって、迷わず、前進するだけです。

また、ダメな凡夫が勝手なことを書いちゃいました。
すみません。でも、日蓮大聖人様の御書を勉強し、大宇宙のこと、自分の存在
を考えると、とても楽しいです。
この世界の隠された秘密を探す冒険をしてるようで、
わくわく、どきどきしています。

やっぱり、仏法を学ぶのにお坊さんになったり、宗教団体に所属したりしなくても、ただの普通の人のままで勉強するのもいいなと思ってます。そのほうが健全かもしれませんね。宮沢賢治さんみたいに自然の中で仏法を学び、実践して生活する、そんな人に私もなりたいです。

 

にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ
にほんブログ村