シンギュラリティの日

今日のストーリー
geralt / Pixabay
朝の散歩の途中、放牧されている牛を見て思った。
牛はただ食べることだけ考えていて、何も悩みなんかないようで幸せそうだ。
人間はよけいなことばかり考えて、幸せになれないのかも知れない。
食べれるものを食べ、生きれるだけ生きて、過去のことも、未来のことも
運命にまかせて生きていけばいいのだろうか。

私は家にもどり、いつものようにパソコンを起動した。
すると、何かがおかしかった。
通常ならみなれたデスクトップが表示されるはずなのに、
いきなり画面にうずまきが表示された。
私は数秒その渦を見ていたが、何か嫌な予感がしたので
パソコンの電源を切った。

しかたがないので、スマホを見ることにした。
スマホの電源を入れると、やはり同じ渦巻きが表示された。
しばらくその渦をみているとめまいがして倒れそうになった。
わたしは首を振って、スマホを遠くに投げて倒れるのをふせいだ。

私はテレビをつけてみた。なんと、テレビの画面にも同じような渦巻きが
表示された。何かがおかしいのだ。何かが起きているのだ。

テレビもインターネットもスマホも見ることができないのだ。

私は恐怖を感じたので家の外に出て人にあって話をしようと思った。

ここはタイの田舎だ。隣家までは1キロほどある。
私は隣家がある村に向かって歩き始めた。

道の途中で、見知らぬ男にあった。
何かを食べている。ネズミだった。しかも生で食べている。
笑っている。凶暴な感じはしない。草を食べる牛のように
うつろな目でねずみを食べていた。

私はその男を通り過ぎ、さらに道を進んだ。

こんどは数人の子どもたちに出会った。やはりうつろな目で笑いながら
何かを食べている。食べているのは普通のアイスキャンディーだった。
でも、何かおかしいのだ。何も話さず、うつろな目で笑いながら
牛のようにアイスキャンディを食べているのだ。

村に行ってみると、村人たちがいつものように集まっていた。
でも、おかしい、話し声が聞こえないのだ。ゾンビのように
存在感がないのだ。笑いながらやはり牛のように雑草を食べているのだ。

しだいに、私も何かが食べたくなった。
なんでもいいから、牛のように食べていれば、幸せのような気がしてきた。
ふと、思った。これはみんなあの渦巻きが原因なのではないか。

私はあわてて走り出した。この村だけではないのかも知れない。

人はみんな考えるのをやめて、ただ牛のように何かを食べ続けるのかもしれない。

これは何が原因か。

私は予言の言葉を思い出した。

未来は神のような存在の少数者がゾンビのような人間を支配する。

神のような存在、まさか人工知能によって人間が支配される時代がやって
きたのだろうか。人工知能が人間を超える時、シンギュラリティが起きたのではないだろうか。

私は走った、村のはずれの川まで走った。

眼の前には、大きな川があった。

私は川向うの街に行って、何が起きているのか知りたかった。

しかし、私は川を泳いで渡ってもしょうがないような気がした。

それよりも、なぜか河原にある雑草を牛のように食べていればいいような気がした。

しかし、私は心のどこかで、川を渡らなくてはいけないと思った。

私は向こう岸に泳いでいけることを信じて、泳ぎ始めた。

予言や人工知能に負けない意思が人間にはあることを信じて。

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