渡る世間は無慈悲な世界、”南無妙法蓮華経”と唱えましょう

タイの田舎の小さな家の生活日記
王殿御返事 第三章 本法の独自性を示す

日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、 
仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎた
るはなし、妙楽云く「顕本遠寿を以て其の命と為す」と釈し給う。

この御本尊は、日蓮が魂を墨に染め流して認めたのである。信じていきなさい。釈迦仏の御意は法華経である。日蓮が魂は南無妙法蓮華経にすぎたものはない。妙楽大師の法華文句記に「本地の遠寿を顕わすことをもってその根本となす」と解釈されている。


---------------------------------

大御本尊様も家にご安置している御本尊様も
日蓮大聖人様の魂だと思います。
そこに込められている一念は大慈悲の一念。
一切衆生を救おうとする光明の一念。
日蓮大聖人様がいらっしゃらなかったら、
この世界は暗黒の弱肉強食の無慈悲な世界。
お釈迦様は悟りをえられても、世界は暗黒の
弱肉強食の無慈悲な世界のまま。
日蓮大聖人様の存在こそが、元品の無明の世界を
元本の光明の世界に変えた。
それゆえ日蓮大聖人様こそ末法の御本仏だと思います。
日蓮大聖人様が魂をこめて大御本尊をあらわされた
瞬間から、過去の御本尊も、未来の御本尊も
日蓮大聖人様の魂となったのだと思います。
どこのお寺、どこの組織のものが本物とか偽物とか
ではなく、すべて日蓮大聖人様の魂、大慈悲の一念
とみるのがよいと思います。
もし、家に御本尊がなくても、いつでも昇る太陽、
沈みゆく太陽、夜空に浮かぶ月や星、
大宇宙をみて日蓮大聖人様の大慈悲を感じた時
自然と手を合わせて”南妙法蓮華経”と唱えると
ダメな凡夫の自分の心にも慈悲の心があることを
感じるときがあるでしょう。それだけで、幸せだなと思います。


海外生活ブログ タイ情報で、にほんブログ村ランキングに参加中です! はげみになりますので、見ていただいた記事には、是非”このブログに投票”のクリックよろしくお願いします!